今回は、2018年に有村架純さん主演『中学聖日記』で衝撃デビューした岡田健史さんを取り上げます。
岡田健史さんは小学校の頃から野球を始め、ずっと野球に没頭していたそうです。そんなの野球一筋だった岡田健史さんがなぜ芸能界を目指したのか?
高校時代は甲子園に行けたのか?など芸能界デビューまでをまとめました。
岡田健史さんは野球で甲子園出場を目指す
名 前:岡田健史(本名:水上恒司(みずかみこうし))
生年月日:1999年5月12日
出身地:福岡県
身長:180cm
岡田健史さんは強豪の創成館高等学校野球部出身
岡田健史さんはもともとは福岡県出身ですが、長崎県の野球の強豪校創成館高等学校に入学しています。しかも野球の特待生として入学しているので、高校入学当時から野球選手としての評価は相当高かったと思われます。
小学校2年生から野球を始め、越境入学までして野球を続けていた岡田健史さんの甲子園に対するあこがれは相当なものだったはずですが、甲子園には出場できたのでしょうか?
結論から言うと、甲子園の出場の夢は叶いませんでした。
最後の夏、2017年長崎県大会の準々決勝で、波佐見高校に敗れ、夢の甲子園出場はなりませんでした。
その時の気持ちをインタビューで語っています。
僕、割と冷静な方なんですけど、夏に限らず負けた瞬間は、負けた要因を瞬時に考えて、あのときこういう勝負をしてしまったから負けてしまったんだとか、ここで決めきれなかったから負けたんだとか分析をしてました。もっというとあいつは私生活であんなだからエラーしてしまうんだとか、最後の大会でもそんなことを考えていました。だから、みんなが泣いてる中で自分は泣かなかったんです。でも、ベンチの裏に行ったら保護者の方がバーっていらっしゃって、その時に両親の顔を見たら思いがこみ上げてきて。今まで自分勝手に野球をやらせてもらったのに、しかも家族と離れてすごくお金もかかるのに、協力してくれたのに、結果を出せなくてごめんっていう気持ちで涙が出ました。
親元を離れてまで目指した甲子園に出場できなかったのは、相当つらかったでしょうね。
岡田健史さんは野球部引退後に芸能界をめざした
岡田健史さんは野球部を引退した後、演劇部の顧問の先生から助っ人として出てくれないかと誘いを受けたそうです。
この時岡田健史さんは、
自分は特待生として高校に入って、自分たちの代で甲子園に行く、野球で結果を残すことが高校への恩返しだと思ってたんですけど、甲子園に行けなかった。そんな負い目を感じているときに、このお話があったので、少しでも役に立てればと引き受けたんです
と過去のインタビューで答えています。
しかし、この選択が岡田健史さんが芸能界を目指すきっかけになったのです。
演劇の大会も地区大会、県大会、九州大会、全国大会と続きますが、岡田健史さんの創成館高校は九州大会で最優秀に輝き翌年の全国大会への切符を手に入れています。ただ全国大会は翌年の夏に行われるため、3年生だった岡田健史さんは出場していません。
しかし、この時自分なりに演劇に取り組んだ結果を、審査員の方や観客に名指しで評価してもらったことがすごく気持ちよくて、役者を目指すきっかけになったそうです。
当初は芸能界入りに反対していたお父さんも今では応援してくれているそうです。
お父さんの説得に一か月の間ずっと頼み込んだといいますから、なかなかの執念ですね。
その後は、芸能事務所スウイートパワーに所属します。
この事務所は岡田健史さんが中学1年生の頃からスカウトしていたそうです。その頃から何か光るものを持っていたんでしょうね。
そして、高校を卒業した2018年10月にはドラマ『中学聖日記』の準主役として出演しています。
この時は、俳優デビューで主演の有村架純さんの相手役として大抜擢されたと新聞で報道されましたね。
【まとめ】岡田健史さんは野球で甲子園出場を目指していた
岡田健史さんの芸能界デビューまでをまとめましたが、もし甲子園出場が叶っていたら、演劇に出会うこともなかったでしょうし、そのまま大学に進学するか、社会人野球に進んだかもしれません。
人生って不思議ですね。
岡田健史さんが芸能界で成功することを祈っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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