東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗さんがとうとう辞任しましたね。
後任は橋本聖子大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)が取りざたされていますが、どうなるのでしょうか?
今回は、「橋本聖子議員の経歴や派閥は|五輪組織委の会長になる可能性は?」と題して、まとめました。
橋本聖子議員の経歴
名 前:橋本 聖子(はしもと せいこ)
戸籍名:石﨑聖子
生年月日:1964年9月5日
選挙区:比例区(参議院)
当選回数:5回
生い立ち
橋本聖子議員は北海道勇払郡早来町(現:安平町)の牧場で生まれ育ちます。
祖父母が開拓者で、1964年東京オリンピックの直前に生まれ、父親が東京オリンピックの開会式を見て、聖火にちなんで「聖子」と名付けられています。
父親の方針で、3歳でスケートを始め、中学3年生の時には全日本選手権を初制覇しています。その後10年間にわたって制覇しています。
中学3年生で全日本を制覇し、10年間の制覇し続けるってすごいですよね。
高校は駒沢大学付属苫小牧高等学校に入学しています。
この高校の卒業生には、今年日本野球界に復帰した田中将大さんをはじめ、プロ野球選手やスピードスケートやアイスホッケーのオリンピアを多数輩出している高校です。
競技では結果を出し続けていた橋本聖子議員ですが、高校3年生の時には腎臓病で入院(小学校3年から4年にかけても腎臓病を患い入退院を繰り返しています)
おまけに病院でB型肝炎に感染してしまいます。さらにストレス性の呼吸筋不全症という病気にもなってしまうのです。
しかし橋本聖子議員のすごいところは、これだけの大病を患いながら、退院後には全日本選手権では「4種目完全制覇」(500m、3000m、1500m、5000mの4種目)をやってのけるのです。
普通、病気の後って体力も落ちるしメンタル的にも厳しいと思いますが、体力もメンタルもすごく強いんでしょうね。
高校卒業後は富士急行株式会社に入社。
ここから橋本聖子議員のオリンピックストーリー(冬季大会4回、夏季大会3回の合計7回)が始まります。
1984年サラエボオリンピック | 500m11位、1000m12位
1500m15位、3000m19位 |
1988年カルガリー冬季オリンピック | 500m5位、1000m5位
1500m6位、3000m7位 5000m6位 |
1988年ソウル夏季オリンピック | 自転車競技スプリント 予選敗退 |
1992年アルベールビル冬季オリンピック | 500m12位、1000m5位
1500m3位、3000m12位 5000m9位 |
1992年バルセロナ夏季オリンピック | 自転車競技女子3000m個人追抜11位 |
1994年リレハンメル冬季オリンピック | 1000m21位、1500m9位
3000m6位、5000m8位 |
1996年アトランタ夏季オリンピック | 自転車競技3000m個人追抜12位
自転車競技2万4000mポイントレース9位 |
冬季・夏季オリンピック、両方出るってすごいことですよね。
スピードスケートと自転車競技は、使う筋肉が似ていることから夏のトレーニングには自転車は必ず取り入れらるそうです。
また以前から世界ではスケートのチャンピオンが自転車に転向したり、夏冬両方で活躍したりといったことは、珍しくなかったそうで、橋本聖子議員も挑戦してみたいと思っていたそうです。
でも実際に自転車競技も出るということで、世間ではずいぶん騒がれましたね。
オリンピックに7度も出場したことから、マスコミに「オリンピックの申し子」と呼ばれたりもしていましたね。
参議院議員として
橋本聖子さんは、1994年に所属していた富士急行株式会社を退社し、翌1995年に第17回参議院議員通常選挙の比例区に自由民主党から立候補し初当選。
この時まだスポーツ選手としては引退していなかったため、国会議員と二足のわらじを履き、オリンピックを目指します。
そして1996年アトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、国会議員としてオリンピック出場が政界・スポーツ界の両方から批判されたことを理由に現役引退しています。
橋本聖子さんの参議院議員としての活躍としては、
2005年9月 自由民主党女性局長就任
2008年9月 麻生内閣で外務副大臣に就任
2016年7月 自由民主党参議院議員会長に就任(女性で初、閣僚経験のない会長)
2019年9月 安倍内閣で東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当として初入閣
2020年9月 菅義偉内閣でも東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当として入閣
橋本聖子議員の派閥
橋本聖子議員の所属する派閥は細田派です。
正式名称は清和政策研究会といいます。
1962年に福田赳夫さんを中心に結成された党風刷新連盟が起源です。
その後は安倍派(阿部晋太郎)→三塚派→森派(森喜朗)→町村派→細田派と続きます。
橋本聖子議員が五輪組織委の会長になる可能性は
森喜朗会長の後任としては、いろいろな方の名前が挙がっていますが橋本聖子議員が後任の会長になる可能性はあるのでしょうか?
橋本聖子議員は現職の五輪担当大臣だということもありますし、過去7回もオリンピックに出場しているオリンピア。東京オリンピックについては熟知しているはずです。
しかも今回森喜朗元会長の発言は女性蔑視だったので、後任には女性がよいのではないかという声もあります。
ただ、現職の大臣が組織委員会の会長になるのは組織統治上問題があるらしく大臣を退かなければならないらしいのです。
大臣を辞めてまで組織委の会長をやるだけの価値があるのでしょうか?
もし今後、東京オリンピックが開催できなかった場合、責任を取らされなくてもなにがしかの問題にはなりますよね。
そうすると橋本聖子議員はまだ56歳です。これからさき、総理大臣の可能性だってないわけではありません。ここでわざわざ火中の栗を拾わなくてもいいのではないのでしょうか。
もし橋本聖子議員がそう考えた場合、森喜朗会長の後任にはならない可能性が高いと思われます。
あくまでも筆者の予想ですが・・。
まとめ
今回は「橋本聖子議員の経歴や派閥は|五輪組織委の会長になる可能性は?」と題してまとめました。
今後、1~2週間で後任の会長は決まるようです。
誰がなるにしても、日本国内また海外からも納得される決め方で、また納得させられる人物が決まることを願うばかりです。
今後の経緯に注目していきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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