10月4日に岸田内閣が発足しましたね。
今回、農林水産大臣に77歳の金子原二郎参議院議員が入閣しました。
父親の金子岩三さんも農林水産大臣や科学技術庁長官を務めています。ですので、親子二代にわたり農林水産大臣を務めることになります。
今回は、「金子原二郎農林水産大臣の派閥や経歴は|元長崎県知事から参議院へ」と題してまとめてみました。
金子原二郎議員の経歴は
名前:金子 原二郎(かねこ げんじろう)
生年月日:1944年5月8日
選挙区:旧長崎2区(衆議院)、長崎県選挙区(参議院)
当選回数:衆議院議員5回、参議院議員2回
金子原二郎議員の生い立ち
金子原二郎議員は長崎県北松浦郡生月町(現平戸市)に元衆議院議員金子岩三さんの次男として生まれています。
父の金子岩三さんは、衆議院議員で在職中は科学技術庁長官や農林水産大臣を務め自民党内では代表的な水産族議員として知られています。
高校は私立暁星高校(東京都)を卒業後、慶應義塾大学文学部を卒業し日本水産株式会社に入社し、その後金兼井物産に移っています。両者とも水産系の会社です。
暁星高校といえば、政財界や歌舞伎などの芸能の世界に至るまで幅広く人材を輩出しているカトリック系の学校ですね。
政界へ進出
金子原二郎議員は1975年に30歳で長崎県議会議員に初当選し、以後3期連続で当選しています。
ですが、3期目の途中1983年に父金子岩三さんが衆議院議員を引退したことから、第37回衆議院議員総選挙に旧長崎2区(定数4)から自由民主党公認で立候補し、得票数2位で当選しています。
衆議院議員として5期連続で当選していますが、1998年に衆議院議員を辞職し長崎県知事選挙に無所属で出馬し当選します。
長崎県知事選挙は、父金子岩三さんも1958年に西岡竹次郎知事の死去に伴う長崎県知事選挙に出馬していますが落選しています。
父親がなれなかった知事の座に就きたかったのでしょうか。
この時の長崎県知事選挙では、当時自由党の副党首だった西岡武夫さんも衆議院議員を辞職して出馬されています。
西岡武夫さんは西岡竹次郎知事の息子です。
元長崎県知事の息子と知事になれなかった父親の遺志を継いだ金子原二郎さんが、お互い衆議院議員の職を辞して選挙を戦うとは何かの因縁なのでしょうか。
金子原二郎さんはその後3期連続で長崎県知事を務め、4期目には出馬せず知事退任後に行われた参議院議員選挙で長崎県選挙区から出馬し当選。国政に復帰します。
参議院議員として国政に復帰してからは、参議院予算委員長を務めるなど活躍されていますね。
ちなみに金子原二郎議員の娘さんは谷川弥一衆議院議員の息子さんと結婚しているため親族になります。
谷川弥一衆議院議員については以前書いた記事がありますのでよろしければお読みください
谷川弥一衆議院議員の経歴・家族は?過去には暴〇団員に襲撃されたことも
谷川弥一衆議院議員の逮捕や失職・議員辞職の可能性は?陣営幹部が告発!
金子原二郎議員の所属する派閥は
金子原二郎議員は衆議院議員時代も所属していた宏池会(岸田派)に所属しています。
宏池会(岸田派)は自由民主党の中で最古参の派閥です。
設立者は、「所得倍増計画」を推し進めた池田勇人です。
略称の変遷としては、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派→古賀派→岸田派と続きます。
派閥の名称を見てもわかるとおり、多くの総理大臣を輩出しています。
名前を挙げると、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一の4人の内閣総理大臣を、野党時代には、河野洋平、谷垣禎一と2人の自民党総裁を輩出しています。
名前を見ただけでも名門派閥だと分かりますよね。
まとめ
今回は「金子原二郎農林水産大臣の派閥や経歴は|元長崎県知事から参議院へ」と題してまとめました。
農林水産大臣といえば、国民の食料や生活に密着する仕事だけ長年の議員経験を生かして活躍して欲しいものです。
今後の活躍に期待しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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