自民党の林芳正参議院議員が、次期衆議院選挙で山口3区に鞍替え出馬の意向を固めたと報道がありました。
この衆議院山口3区は河村建夫議員の地盤ですが、河村建夫議員とはいったいどんな経歴に持ち主なのでしょう?
また「河村建夫」と検索すると「国賊」と言ったキーワードがでてきます。一体どういうことなのでしょうか?
今回は「河村建夫議員の経歴や派閥は|国賊と言われるのはなぜ」と題してまとめました。
河村建夫衆議院議員の経歴
名 前:河村 建夫(かわむら たけお)
生年月日:1942年11月10日
選挙区:山口3区
当選回数:10回
河村建夫議員は山口県立萩高校を卒業後、慶応大学商学部を卒業しています。
大学卒業後は出光興産グループの石油精製会社、西部石油株式会社に入社。その後9年ほど勤務していますが、1976年34歳の時に父親の死去に伴う山口県議会議員補欠選挙に自民党公認で出馬し初当選。その後4回連続して当選しています。
そして1990年には第39回衆議院議員総選挙に旧山口1区から自民党公認で出馬し当選、以後9回連続して当選しています。
*旧山口1区について
河村建夫衆議院議員の派閥は?
河村建夫議員の派閥は悪名高き?二階派です。
二階派というのは通称で、正式には志帥会(しすいかい)と言います。
会長は本来二階俊博議員ですが、現在は空席になっています。それは慣例として党4役(幹事長、総務会長、政調会長、選挙対策委員長)は派閥を離脱することになっているためです。
河村建夫議員はこの二階派でも重鎮で会長代行を務めています。
二階派に所属する議員ついて書いた記事がありますので、よろしければこちらもご覧ください。
二階派の不祥事議員まとめ|不倫で話題のあの人も在籍していた!
河村建夫議員が国賊と言われるのはなぜ?
河村建夫議員が国賊と言われるのはなぜでしょうか?
それは河村建夫議員が日韓議員連盟に所属しており幹事長職を努めていることと関係しているようです。
もともと日韓議員連盟は韓国議員との交流や友好関係の促進を目的として組織されました。韓国が軍事政権だった頃には日韓の交渉チャンネルとして役割を果たしていたようですが、現在では歴史認識問題や領有権の問題などが懸案となって、水面下での交渉チャンネルとしての役割は機能しなくなっているようです。
そんな中、日韓議員連盟の幹事長として河村建夫議員が韓国寄りの発言をすると、韓国に対して嫌悪感を持っている人たちから国賊と言われているようですね。
国賊はちょっと言いすぎな感じもしますが、最近の韓国の日本に対する言動を見ていると仕方ないような気もします。ちょっとやりすぎですもんね。
まとめ
今回は「河村建夫議員の経歴や派閥は|国賊と言われるのはなぜ」と題してまとめました。
今年中には行われる衆議院議員総選挙。河村建夫議員の山口3区は注目の的となりそうですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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