丸川珠代議員の経歴や派閥は|かわいいけどヤジが酷い!

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の辞任で、後任の会長選びが取りざたされていますが、誰がいいんでしょうかね?

今回はそんな公認候補の中の一人、丸川珠代さんについてまとめました。

「追記」

2月18日、橋本聖子五輪相による東京五輪・パラリンピック組織委員会の次期会長就任受諾に伴い、後任の五輪相に丸川珠代参議院議員を起用する意向を固めたそうです。

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丸川珠代議員の経歴

名  前:丸川 珠代(まるかわ たまよ)

生年月日:1971年1月19日

選挙区:東京都選挙区(参議院)

当選回数:3回

丸川珠代議員は兵庫県神戸市に生まれ、高校は大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎に進み、大学は東京大学経済学部経営学科を卒業しています。

そして、1993年4月にテレビ朝日に入社しています。

丸川珠代議員ってかわいいですし、東京大学卒業と、才色兼備なんですね。

テレビ朝日入社後は、アナウンサーとして「ニュースステーション」「ビートたけいしのTVタックル」「スーパーJチャンネル」「朝まで生テレビ」などで美人アナウンサーとして評判でしたね。

また、2002年6月から2004年5月までニューヨーク支局に駐在。

2007年5月にテレビ朝日を退職しています。

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参議院議員として

丸川珠代議員は2007年の第21回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬し、4位(定数5)で初当選。

この選挙では、安倍政権下で、郵政造反組復党問題や年金問題、相次ぐ閣僚の不祥事等が重なったことで歴史的大敗を喫した選挙です。

そんななか、丸川珠代さんは安倍晋三総理から直々に出馬要請を受け、平沢勝栄衆議院議員を選挙対策本部長に迎えて戦い抜きました。

自民党に逆風の中、よく当選できたものです。

その後の活躍は、

当選直後の2007年7月に自由民主党女性局長に就任

2012年12月厚生労働大臣政務官就任

2014年9月参議院厚生労働委員長就任

2015年環境相、内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命され、初入閣

2016年8月内閣改造により、環境相・原子力防災大臣を退任し、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣に横滑りで就任

2020年9月自由民主党広報本部長に就任

丸川珠代議員の派閥は

丸川珠代議員は2008年6月に同じ自由民主党の衆議院議員大塚拓さんと結婚しています。

そしてその後夫婦そろって町村派(清和政策研究会)に入会しています。

1962年に福田赳夫さんを中心に結成された党風刷新連盟が起源です。

その後は安倍派(阿部晋太郎)→三塚派→森派(森喜朗)→町村派→細田派と続きます。

2014年からは細田博之衆議院議員が会長を務めており、細田派と呼ばれています。

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丸川珠代議員はヤジ将軍?

丸川珠代議員は自民党が野党時代は相当のヤジ将軍だったようです。

2010年3月25日に行われた参議院厚生労働委員会で、強行採決が行われた際には委員長に対して「この愚か者めが!」「このくだらん選択をしたバカ者どもを絶対忘れん!」と委員会室で絶叫しています。

かわいい顔して、すごいヤジ飛ばしますね。

新米議員はヤジ飛ばすのが仕事だと言われていますが、なかなかパンチがありますね。

また、2010年5月21日参議院本会議で鳩山由紀夫総理大臣に対して「ルーピー」(頭がおかしい)とヤジを飛ばしています。

東大卒のインテリだけあって、ヤジも英語なんですね。その場にいた方たちにはすぐわかる人はあんまりいなかったんじゃないでしょうか。

まとめ

今回は「丸川珠代議員の経歴や派閥は|かわいいけどヤジが酷い!」と題してまとめました。

丸川珠代議員は、安倍晋三内閣ではずいぶん活躍されていたようですし、現在も自民党の広報本部長の要職についています。

今後も優秀な頭脳を活かして頑張ってほしいものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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