女性を蔑視した発言について辞任を否定した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長ですが、「辞任するつもりだったが、武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と述べていますね。
この問題は日本国内だけでなく、海外でも大きな反響があっているようですからしばらくはゴタゴタが続きそうですね。
今回は森喜朗会長の辞任を思いとどまらせた武藤敏郎事務総長についてまとめてました。
武藤敏郎事務総長の経歴
名 前:武藤 敏郎(むとう としろう)
生年月日:1943年7月2日
武藤敏郎さんの生い立ち
武藤敏郎さんの経歴ですが、埼玉県浦和市出身で父親は浦和市議会議員、浦和市収入役を務めています。
学歴は開成高校を経て東京大学に入学しています。
そして国家公務員上級職甲種試験(法律職)と司法試験に合格し、1966年に東京大学法学部第一類(私法コース)を卒業しています。
国家公務員上級職甲種試験に受かるだけでもすごいと思いますが、大学在学中に司法試験にも受かるってすごく頭脳明晰なのですね。
大蔵省入省以降
大学卒業後は旧大蔵省に入省。
しかし、当初は弁護士志望で大蔵省に特に思入れがあったわけではなく、正論が通らなかったらいつでも辞める、くらいのつもりだったそうです。
武藤敏郎さんは大蔵省では主計局を中心にキャリアを積んでいきます。
主計局は予算編成をつかさどっていることから、他の省庁に対し圧倒的な力を持っています。そして主計局長は、事務次官への登竜門となっていいて、主計局長を経て事務次官へなっている方がほとんどです。
武藤敏郎さんも主計局長を経て旧大蔵省事務次官に就任し、中央省庁再編により初代財務省事務次官にも就任しています。
財務省退任後の2003年に日本銀行の副総裁に就任しています。
2008年には、次期総裁候補として国会へ提示され所信表明まで行われましたが、衆議院では同意を得ましたが、参議院では不同意となってしまい、日本銀行総裁へはなれませんでした。
これは、当時参議院第一党は民主党でいわゆるねじれ国会状態にあり、当初から財務官僚出身の総裁就任に難色を示していました。実際参議院での採決では民主、共産、社民、国民新などの反対多数で不同意となっています。
日本銀行副総裁を退任後は、2008年6月には東京大学先端科学技術研究センター客員教授に、同年7月には大和総研の理事長に就任しています。
また2009年4月には母校である開成中学・高等学校の学園長兼理事長に就任しています。ただ、学園長職も理事長職も無報酬のため給与等は支払われていません。
そして2014年1月に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の事務総長に、森喜朗会長の要請を受けて就任しています。
ノーパンしゃぶしゃぶで更迭
1998年ころ旧大蔵省官僚がその頃流行っていたノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けていると報道されました。
当時は大きく報道され、官僚が接待を受けるだけでも批判を受けるのに、若い女性がノーパンで接客するしゃぶしゃぶ店で、というのはあまりににも印象が悪すぎました。
武藤敏郎さんは当時大蔵省官房長でした。
武藤敏郎さん自身は接待を受けたわけではなかったのですが、部下が不祥事を起こしたということで更迭処分となってしまいました。
当時の報道で、武藤敏郎さんの名前とともにノーパンしゃぶしゃぶ接待事件が取り上げられたため「武藤敏郎と言えばノーパンしゃぶしゃぶ」という不名誉なイメージが定着してしまったのです。
部下のせいでとばっちりを受けた格好ですね。
ちょっとかわいそうですね。
まとめ
今回は「武藤敏郎事務総長の経歴は|ノーパンしゃぶしゃぶで更迭処分に」と題してまとめました。
武藤敏郎さんはとても優秀な方で、まじめな方だと思われます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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