下村博文議員の経歴や派閥は|党内での評判はイマイチで総裁の座が遠のく

政治

下村博文さんといえば、自民党の政調会長であり、前総理大臣の安倍晋三議員の信任も厚い方ですが、どんな経歴の持ち主なのでしょうか。

今回は、「下村博文議員の経歴や派閥は|党内での評判はイマイチで総裁の座が遠のく」と題してまとめました。

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下村博文議員の経歴

名  前:下村 博文(しもむら はくぶん)

生年月日:1954年5月23日

選挙区:衆議院東京11区

当選回数:8回

生い立ち

下村博文議員は群馬県に生まれ、9歳の時に父親交通事故で亡くなっています。

その後は母親がパートをして3人の子供を育て上げ、下村博文議員奨学金を借りて高校・大学を卒業しています。

高校は群馬県立高崎高等学校に進学しています。

この高崎高等学校は群馬県内でもトップクラスの進学校で、著名な出身者としては福田赳夫(第67代内閣総理大臣)、中曽根康弘(第71、72、73代内閣総理大臣)がいます。

偶然なのでしょうけど、内閣総理大臣を二人も輩出しているってすごい高校ですね。

高校を卒業後は、早稲田大学教育学部をに進学し、雄弁会(弁論クラブ)に所属し幹事長を務めた経験が政治家を志すきっかけになったそうです。

早稲田の雄弁会といえば、政治家の登竜門的な位置づけとして取られることが多いですね。

実際、現役の衆議院議員、参議院議員、地方の首長にも早稲田大学雄弁会出身者は数多くいらっしゃいます。

また、石橋湛山(第55代)、竹下登(第74代)、海部俊樹(第76・77代)、小渕恵三(第84代)、森喜朗(第85・86代)、5人もの内閣総理大臣を輩出しています。

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政界へ進出

下村博文議員は、1989年の東京都議会議員選挙に民社党・社民連・進歩党推薦の無所属候補として初当選。

2期7年務めています。

生粋の自民党員かと思ったら、政治家になった当初は違っていたんですね。ちょっと意外な感じがします。

1996年第41回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、初当選。その後7回連続当選しています。

下村博文議員の初入閣は、2012年第2次安倍内閣で文部科学大臣兼教育再生担当大臣としてです。

在任中の2013年9月に東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることが決定したことから、新設された東京五輪担当相を兼務することとなりました

2014年12月にも第3次安倍内閣で文部科学大臣に再任。

2015年10月、内閣改造に伴い大臣を退任し、総裁特別補佐、特命担当副幹事長に就任。

2019年、自由民主党選挙対策委員長

2020年、自由民主党政務調査会長

下村博文議員の派閥は

下村博文議員の所属する派閥は細田派(清和政策研究会)です。

初当選後、現在の細田派、当時は三塚博が会長で三塚派と呼ばれていました。

自民党の中では名門派閥で、親米を基調としながらも自主憲法論・憲法改正論を唱え、再軍備に積極的で比較的タカ派色が強いです。

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下村博文議員の評判は

下村博文議員は当選8回のベテラン議員で大臣経験者ですが、党内での評判はどうなのでしょうか。

安倍総理が辞任した9月の総裁選でも立候補を模索していたようですが、支持が広がらず断念。

下村博文議員は、安倍晋三議員の信頼が厚く、安倍政権時代は要職を歴任していました。しかも、現在の政調会長の役職も安倍氏から菅首相へ推薦があったそうです。

しかし、人望があまりなく、「目立ちたがりで汗をかかない」というのが党内での評価のようです。

本人は「首相になりたい」と言っているようですが、人望が薄いようでは道のりは遠いでしょうね。

また、政治献金でもたびたび疑惑を指摘されていますね。

最近だと、外国人が代表を務める会社から政治献金を受け取って返金したり、加計学園からの献金疑惑などがありますね。

献金疑惑などがあると、国民としては総理大臣にはなってほしくはないですね。

まとめ

今回は「下村博文議員の経歴や派閥は|党内での評判はイマイチで総裁の座が遠のく」と題してまとめました。

今後、政調会長を足掛かりに活躍し、総理・総裁候補になれるといいですね。活躍を祈っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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