宮内秀樹(農水副大臣)の経歴や派閥は|地元福岡では麻生太郎と対立

政治
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中央自動車道をまたぐ橋梁の耐震補強工事で鉄筋が不足する施工不良が明らかとなりました。

この件について、野党側は自民党の宮内農水副大臣の関与を指摘していますが、宮内農水副大臣とはいったいどのような人なのでしょうか

今回は宮内農水副大臣の派閥や評判、地元福岡での麻生太郎議員との関係についてまとめました。

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宮内秀樹(農水副大臣)の経歴は?

宮内秀樹議員の経歴についてみていきます。

名  前:宮内秀樹(みやうち ひでき)

生年月日:1962年10月19日

選挙区:衆議院福岡4区

当選回数:3回

宮内秀樹議員は、愛媛県松山市の出身で、愛媛県立松山東高等学校を卒業後、青山学院大学に入学しています。

青山学院大学在学中は、落語研究会に所属し「音亭狂雀(おんてい・きょうじゃく)」という高座名で、老人ホームの慰問などの活動をされていたそうです。

中学・高校時代は野球部で甲子園を目指していたそうですが、なぜ大学は落研だったのでしょうか?多少気にはなりますが、この時の経験は国会議員になるには役立ったのではないでしょうか。

大学卒業後の1985年からは、地元愛媛県選出の国会議員塩崎潤(元総務庁長官)の自宅に住み込んで秘書を務め、塩崎潤議員が引退しその跡を継いだ塩崎恭久議員(元内閣官房長官)にも引き続き秘書として務めています。

その後、1996年からは福岡県選出の衆議院議員・渡辺具能(わたなべ ともよし)氏の政策秘書を務めます。

国会議員になったのは、2012年の第46回衆議院議員総選挙で、かつて秘書を務めた渡辺具能さんの福岡4区から自由民主党公認で出馬し、初当選します。

初当選後は現在まで落選することなく連続して当選を重ねています。

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宮内秀樹(農水副大臣)の派閥は?

宮内秀樹議員は2012年の初当選後すぐには派閥に所属していなかったようです。

派閥に所属するようになったのは2016年1月に二階派に入会しています。

この時一緒に二階派に入会したのが武田良太衆議院議員(現国家公安委員長)です。

武田良太議員も同じ福岡県選出であり、地元福岡では麻生太郎議員とは対立関係にある方です。宮内秀樹議員も麻生太郎議員とは地元では対立しているようなので、示し合わせて一緒に二階派に入会したのかもしれませんね。

武田良太議員の経歴や麻生太郎議員との確執について書いた記事もあるので、よければこちらもご覧ください。

武田良太議員の経歴や評判は。地元福岡では麻生太郎議員と対立してる

宮内秀樹議員と麻生太郎議員の対立とは?

宮内秀樹議員と麻生太郎議員との対立とは何なのでしょうか?

事の起こりは2019年の福岡県知事選挙です。この選挙では現職の小川洋氏は過去2回の選挙では麻生議員との関係も良好で、自由民主党の支援も受けたのです。

しかしこの時の選挙では、小川洋氏は麻生議員や自民党県連との関係が悪化し、自由民主党の推薦を受けられませんでした。

そして麻生議員や自民党県連は小川洋氏に対抗馬を立てたのですが、これに反発した国会議員の中に宮内秀樹議員も含まれていたのです。

この時麻生議員に反発した福岡県選出の国会議員は11人中6人だったそうなので、麻生議員は地元では影響力が落ちてきているのかもしれませんね。

まとめ

宮内秀樹(農水副大臣)の経歴や派閥、地元福岡での麻生議員との関係についてまとめました。

宮内秀樹議員は冒頭にも述べた、中央自動車道をまたぐ橋梁の耐震補強工事で鉄筋が不足する施工不良の問題で、今後追及されていく可能性があります。

もし癒着などがあれば大変なことになるかもしれませんね。そうならないことを祈りますが・・。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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